初めに混沌があった。 混沌が分かれて太古が始まる。 太古は時空であり、時空は宇宙であった。
宇宙は無極であり、無極は太極であった、そして太極は陰陽であった。

陰陽は四象をかたどり、四象は清濁虚実をあらわす。 清と虚から天が開け、濁と実から地が固まる。
清々濁々虚々実々から人間が生まれた

中国古典 封神演義

はじめに神は天と地とを創造された。 それから神は「光あれ」と言われた。   

 聖書 創世記

はじめに言葉があり、言葉は神と共に居り、言葉は神であった。

聖書 ヨハネ伝

生けるものの世界(衆生界)において、卵から生まれたものも、胎生のものも、湿気から生まれたものも、 忽然と化生したものも、形のあるものも、形のないものも、意識のあるものも、意識の無いものも、意識が在るでも無く無いでもないものも、およそ衆生界にあるものは全て私は涅槃の世界へ導かねばならない。

しかも尚、たとえそのように無数の衆生を涅槃に導いたとしても、実はいかなる衆生も涅槃に入ったのではない。

もしも菩薩に衆生という観念(想念)が生じるならば、彼を菩薩と呼ぶべきではない。
もしも菩薩に自我という観念が生じるなら、あるいは衆生という観念、命あるものという観念、         個・我という観念が生じるなら、彼を菩薩と呼ぶべきではない。

大乗仏典 般若部経典

 46億年前に地球が誕生し240万年前に人類か誕生したと科学は言う。
 科学の進展と共に、この数字は今後も変遷する。

しかし科学がいかに進展しても科学だけではあの「人間の命題」を解明することは不可能である。

「人はなぜ存在するのか」
「そもそも存在とは何か?」

人間の命題に取り組んだ過去の哲人・教祖達は科学の助けなく、思考と直感だけを頼りに、迷いと悟達を繰り返しながら、それぞれ道や教義を創った。
 
しかし科学の助けの無い直感や思考は限界があった。今われわれは強力な科学を武器として、新しい哲学の創造に挑もうとしている。


世界の主な宗教の起源を見ると、仏教は今から3000年前  道教は2500年 キリスト教は2000年 回教(イスラム)は1500年もの過去に遡る。 そして何千年も経過した現在迄幾多の英雄・国家の栄枯盛衰にもかかわらず、各宗教の教義は何一つ変わることなく営々として守り続けられている。

一方、天動説から始まった科学の進歩は止まる所を知らず加速度を加え、ついには原子爆弾を炸裂させ、遺伝子を操作しさらには究極の分子・原子・電子・光子。中性子・中間子等、無限小【神の領域】に達する勢いである。
この科学の独走の前に、人間の根本原理を明らかにし、科学の暴走をコントロールする使命を持った【哲学】は無残にも敗北し、色あせ、その存在すら危ぶまれている。
 
このような事態に至った原因は明らかに哲学者の怠惰と勉強不足である。
哲学に志すものは先ず旧来の直感や思考に頼る研究法を改めて、何よりも先ず量子物理学を学び・遺伝子科学を学び、数学を学び、少なくとも科学の実態を理解してから直感と思考を行うべきである。
無を理解せず、ゼロの意味がわからず、遺伝子の仕組みや量子の働きさえ理解しない哲学者に何が出来よう。

宗教と科学の関係は哲学の存在により相互補完関係が成立するのである.。

哲学は人間の根本原理を探求する重要な部門である。